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ターザンひでおのHP

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日本編(その2)

前回書いたように、入社1年目から2回のH-Ⅱロケット打ち上げ、成功、失敗と多くのことを経験させてもらった。なんだかわからないうちに夢中で駆け抜けた一年だった。とても後輩思いの先輩や上司のおかげで、何とか切り抜けることができた。

今あらためて、当時の事を思い返すと、自分が如何に多くの人達に支えられ愛されていたかということに気付く。そして、当時はそのことに気付くことも、感謝することもできていなかったことも。

今、心の底から「ありがとうございます」と言いたい。

そして、今の自分があるのは、もっと多くの方に支えられ、愛されたおかげだとあらためて思う。お世話になった、たくさんの人達の顔と名前があふれてくる。私は今までその恩にきちんと感謝をできていただろうか?
「ありがとうございます。」

つづく…、じゃなかった。

なんか、いきなり終わりそうになってしまいましたが、ここからが(その2)のメインです。

入社2年目はH-Ⅱロケットの打ち上げが無く、主な仕事は2001年に1号機打上を予定しているH-ⅡAロケット用の打上設備建設やテストと、無重力実験用の小型ロケットTR-ⅠAも打ち上げのみだった。

2年目は比較的平和でひまだったような記憶がある。

札幌の雪祭りに行ったり、3月に種子島で毎年行われているロケットマラソンに出場し、初めてフルマラソンを完走した事ぐらいしか記憶に無い。マラソンは後半かなり歩いたのでタイムは4時間16分だった。

そして、あっという間に3度目の春がやってきた。
3年目は大忙しだった。

まず、H-ⅡAのGTVがあった。GTVとはGround Test Vehicleの略で、実際の打上さながらに、ロケットの組み立て、燃料の充填等の準備作業をやって、新しく作った設備とロケットが実際にうまく機能するかの確認試験である。当然のように次から次へと問題点が出てきて、その対策の検討にテンテコマイだった。

また、この年から、種子島でのエンジン試験の担当にもなり、エンジン試験関係の仕事もこなすことになった。

そして、この年はH-Ⅱ8号機の打上があった。

H-Ⅱ8号機の打上はトラブルが続いた。特に燃料充填口付近で水素ガスの漏れが検知されたために、打上当日に延期になったのは影響が大きかった。この影響で打上は数ヶ月延期された。その間、様々な点検作業を行ったが、結局、水素漏れの原因は特定できず、周辺の装置をまるごと予備と交換することで漏れはなくなった。

そして、1999年11月15日。H-Ⅱ8号機打上当日。空は見事な秋晴れで雲一つ無かった。そしてそれまでのトラブルがウソのように全ての作業が順調に進んでいた。16時29分打上げ。ロケットは力強く飛翔し、白い噴煙を残して青い空へと上っていった。誰もが成功を信じて疑わなかった。

私はこのときデータ室でロケットから送られてくるエンジンのデータを見ていた。突然、それまで正常だったエンジン室の圧力データが0になった。その場の空気が凍った。皆、何が起きているのかわからない。パニック状態である。ロケットから送られてくるデータがでたらめな状態になった。

「通信機の故障か?」

上司のところに状況を確認しに行った。

「指令破壊したらしい」

ロケットは安全のため、予定の軌道から大きくそれると、地上から破壊信号を送信して自爆させるようになっている。

「えっ?」

頭が真っ白になった。とにかく、この打上が失敗だと言う現実は理解できた。そして、今はとにかく打上後の後処置の作業をたんたんと進めるしかないこともわかっていた。

(その3)へつづく


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